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質感や あるべき重み。<br>器という"モノ"が持つ力
鈎一馬 前編

質感や あるべき重み。
器という"モノ"が持つ力

陶芸作家

鈎 一馬さん インタビュー【前編】

Interview with Kazuma MAGARI

見る人によって、あるいは光のちょっとした加減によって、ピンクにも、紫にも、うす茶色にも映る「紅瓷(こうじ)」の器。甘く切ない気持ちにさせるその器は、一体どうやって生み出されたのでしょうか。最近では新しく白瓷(はくじ)のシリーズも発表し、これからの活躍がますます期待される気鋭の陶芸作家、鈎 一馬(まがり かずま)さん。これまでの鈎さんの陶芸作家としての道のりや、器づくりの手法・考え方などについて伺いました。興味深いお話ばかりです。


text・photo/Masami INOSE
鈎 一馬さん 経歴

1986年  京都府生まれ
2010年  京都精華大学 芸術学部 陶芸専攻卒業
2012年  京都精華大学大学院 芸術研究科博士 前期課程修了
2013年〜 京都市 山科区にて作陶

 

やきものの魅力って
98%が「質感」だと思う


— 鈎さんは幼い頃から手先が器用だったそうですね。ご家族も芸術系だったのですか?

 両親ともに美大出身で、親父はずっと建築の内装設計の仕事をやっています。母は、僕と同業で、陶芸作家。でも母が作っているのは器ではなく、おもに陶器の人形なんですけどね。もともと、この場所(工房)も母親の仕事場で、そこへ僕が転がり込んで。狭い場所なので、窯やスペースは母と共有して使っています。

京都市山科区にある鈎さんの工房。
ここで数々の美しい器が生み出されています。
photo/Kazuma MAGARI


— お母さまも陶芸作家なんですね。じゃあ、鈎さんが陶芸の道に進まれたのも、自然な流れで?

 僕は小さい頃から、平面よりも立体物を作るのが得意だったんです。それで高校の時に、美大に進みたいと思ったんですが、「めっちゃお金かかるなぁ」とか「美大に行ったところで将来どうなんやろ」とかいろいろ考えてしまって、一度諦めたんです。それで、違う大学の経済情報学部に進学した。でも結局合わなくて、中退して、精華大学の陶芸コースに編入しました。ここならいろんな立体的な制作活動が学べそうだと思って。

— 大学の後は、大学院にも進まれていますよね。鈎さんの作家性は、この頃、培われたのでしょうか。

 大学時代は今と全然違って、器ではなく陶磁器のオブジェを作っていて、その作品性をどう人に伝えるかということを学んでいました。「なぜその表現なのか、そこに自分はどのような魅力を感じているのか」ということを一生懸命考えて、言葉にする。大学院に進んだのも、自分のやってることをもう少し深く理解して、伝えられるようになりたいと思ったからです。

でも、ある時、僕にとっての陶磁器作品の魅力っていうのは「質感」のことなんだと思うようになって。極端な話、陶磁器作品の魅力って98%が質感で、形や図案の良さなどは残りの2%くらいだと思っています。

— なるほど… 質感。

 それに初めて気が付いた時、「目で見て、さらに手で持って感じる質感の良さを、言葉で伝えるのって僕には無理だな」と思ったんです。であれば、自分はオブジェを作る必要はないなと思って、やめてしまいました。

その後、民藝運動について学んだ時期があって。柳宗悦が朝鮮などの陶磁器作品をピックアップしてくる時のそのもの自体への目って、理屈じゃなくて、僕が感じた「質感」への目の向け方と近しいかもな、っていう印象を受けたんです。そういう経験から器に入っていった感じなんです、僕は。

— 先ほどの質感のお話、よくわかります。私が言うのもおかしいですが、器の魅力はやっぱり写真や文章だけですべてを伝えることはなかなか難しい面があって。

 モノの力ですよね。デジタルじゃ置き換えられない、言語化できない領域。我々日本人は縄文時代から陶磁器と付き合っているわけで、絵や写真といった記録以上の何かを「質」として知っているし、その質を美しいと思って何万年も生きてきている。
僕も、人間の手の大きさとか、しっくり乗る加減とか、「やっぱそうよな」といつも実感してます。綺麗かどうかは写真でもわかるけど、持った瞬間にイメージが変わりますからね。

ものには「あるべき重さ」がある。
重いから悪いというわけじゃない

— 大学院の修士課程を修了した後は、京都市の山科区で陶芸家としての活動を開始されていますね。

 はい。ずっとここ(現在の工房)で作っています。

— 鈎さんが作っているのは、陶器ではなく、磁器なんですよね。

 土モノだ、磁器モノだって、僕はあんまりこだわってなくて、別にどっちでもいいんですね。ただ、自分が作る焼き物はカチカチであってほしい。やわらかいものはやわらかいもので、そういう顔をしていればいいんですけど、僕が作るものは、カチッとした顔をしていると思うんで、単純な硬度も欲しいし、触った時に感じる硬さも欲しい。

僕の作品は電気窯で焼いていて、酸化焼成なんです。磁器を酸化で焼くと、あまり焼き締まらないんです。それでは納得がいかなかったので、土の耐火度を見合うように調整しています。でも歪みやすくなるなどデメリットもあるので、その兼ね合いですね。

— 鈎さんの器って、手が心地よいと感じる重みがちゃんとあるんですよね。手にストンと落ちて気持ち良い。

 以前はすごく軽く、薄く仕上げていたんです。日本人の食卓って、必ず器を手で持つので、軽くて薄い器が正義という風潮もある。でも、そこまで考えなくてもいいかなって思うようになってきて。モノには「あるべき重さ」があるし、重いから悪いというわけじゃない。

走泥社*(そうでいしゃ)ってご存知ですか。そのメンバーの一人だった佐藤敏さんが作られた器を、学生時代に見る機会があったんです。5寸くらいの粉引の皿で、ずっしり重さのある器だったんですね。僕も学生時代とはいえ陶芸のいろはの「い」くらいは齧ってた頃だから「どんな風に作られてるんだろう?」って触りますよね。
そうしたら、重さがだんだんしっくりきて、作り手にとってこの重さは必要不可欠なものなんだと理解できた。要は、こう、ろくろが残っているというか、最初から「削る部分はここだけ」って決めているなと。

数年前に、その感覚を、自分でも目指したいと思うようになって。特に碗ものなんかを作る時は意識してますね。ろくろを引く時は、削る部分を考えながら、出来上がりをイメージして作っています。
それはなんというか、制作者としてのこだわりというか、鍛錬というか、挑戦というか、楽しさでもあります。

*走泥社…1948年に京都で生まれた前衛陶芸家グループ。「オブジェ焼き」という新しいジャンルを開拓し、会員が入れ替わりながら50年に渡り日本の陶芸界をリードした。

インタビュー後編はこちら

鈎一馬さんの器はこちらから見られます

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鈎一馬 インタビュー 後編
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